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2012/11
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ラストステーション by Caramel mamaCATEGORY:DIARY |
昨日あまりに悲しい知らせがありました。
広島時代のバンド“キャラメル・ママ”のギタリスト 島崎潤一郎が亡くなりました。真の友人であり、素晴らしいミュージシャンだった。実は今もまだ信じられず、頭の中は真っ白です。
高校卒業後、18歳で一緒にバンドを組んだ。俺の曲の弾き語りテープを持って 彼の家まで押しかけてね。何度か断られたけど しつこく誘って、「うん」と言わせた。それからは、LIVEをしまくった。
様々なコンテストにも出場し、たくさんの賞をもらった。当時のライブハウス WoodyStreetでは、週末LIVEのチケットが完売するバンドになり、ホールワンマンもやりました。アマチュア時代のこれらの活動がプロでやっていく自信に繋がったと思う。
初めて本格的にオリジナルに取り組んだ時期だったし、彼から受けた影響は計り知れません。そのブルースを基盤にしたプレイスタイルや、決してブレないロックへの価値観、すべてが素敵だった。
メジャーデビューの話がいくつか持ち上がり始めた頃に、すぐにでも東京に行きたい俺と、地道に広島で活動したい島ちゃんとの間に ズレができた。そのまま活動休止。そして俺はLORANでデビューした。
上京してからも、電話で本気でダメだししてくれる数少ない友達の1人でした。だからもちろん ケンカも絶えなかったけど、彼からの愛をわかりやすいくらい感じてたから それに甘えてきたし、これまで ずっと交流は続いてました。頑固、毒舌、でも愛に溢れたチャーミングな人間だった。
広島でのソロLIVEにギター持ってきて飛び入りしてくれた時は嬉しかった。
数ヶ月前に「またキャラメルやろう」と電話で話してた。「だからギターは弾いててくれ」って言っといたのに。あまりに悲しすぎるよ。なんだよ。悔しいよ。
また一緒にステージに立ちたかった。酒飲みたかった。
彼はいつも言ってた。「かき鳴らすコード1発でキマる。魂込めればロックになる」口癖のように。今、それを凄く感じてる。その感覚を大事にしてる。
たぶん俺は もう少し時間が経つと、寂しくてヤバくなる。どん底までへこむと思う。
でも 今はただ、ありがとうを言いたい。もっと感謝の気持ちを伝えとけばよかったな。
シマさん、ありがとう。お疲れ様。
いつか また会えたら もう一度バンドやろう。
二十歳そこそこの頃の 僕らの曲を、彼のプレイを聴いてほしい。26年前に友達のまんちゃんが
思い出のスタジオ フィッツで録ってくれたの音源です。
広島時代のバンド“キャラメル・ママ”のギタリスト 島崎潤一郎が亡くなりました。真の友人であり、素晴らしいミュージシャンだった。実は今もまだ信じられず、頭の中は真っ白です。
高校卒業後、18歳で一緒にバンドを組んだ。俺の曲の弾き語りテープを持って 彼の家まで押しかけてね。何度か断られたけど しつこく誘って、「うん」と言わせた。それからは、LIVEをしまくった。
様々なコンテストにも出場し、たくさんの賞をもらった。当時のライブハウス WoodyStreetでは、週末LIVEのチケットが完売するバンドになり、ホールワンマンもやりました。アマチュア時代のこれらの活動がプロでやっていく自信に繋がったと思う。
初めて本格的にオリジナルに取り組んだ時期だったし、彼から受けた影響は計り知れません。そのブルースを基盤にしたプレイスタイルや、決してブレないロックへの価値観、すべてが素敵だった。
メジャーデビューの話がいくつか持ち上がり始めた頃に、すぐにでも東京に行きたい俺と、地道に広島で活動したい島ちゃんとの間に ズレができた。そのまま活動休止。そして俺はLORANでデビューした。
上京してからも、電話で本気でダメだししてくれる数少ない友達の1人でした。だからもちろん ケンカも絶えなかったけど、彼からの愛をわかりやすいくらい感じてたから それに甘えてきたし、これまで ずっと交流は続いてました。頑固、毒舌、でも愛に溢れたチャーミングな人間だった。
広島でのソロLIVEにギター持ってきて飛び入りしてくれた時は嬉しかった。
数ヶ月前に「またキャラメルやろう」と電話で話してた。「だからギターは弾いててくれ」って言っといたのに。あまりに悲しすぎるよ。なんだよ。悔しいよ。
また一緒にステージに立ちたかった。酒飲みたかった。
彼はいつも言ってた。「かき鳴らすコード1発でキマる。魂込めればロックになる」口癖のように。今、それを凄く感じてる。その感覚を大事にしてる。
たぶん俺は もう少し時間が経つと、寂しくてヤバくなる。どん底までへこむと思う。
でも 今はただ、ありがとうを言いたい。もっと感謝の気持ちを伝えとけばよかったな。
シマさん、ありがとう。お疲れ様。
いつか また会えたら もう一度バンドやろう。
二十歳そこそこの頃の 僕らの曲を、彼のプレイを聴いてほしい。26年前に友達のまんちゃんが
思い出のスタジオ フィッツで録ってくれたの音源です。
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コメント
大切なひとがいなくなるつらさは、がまんできるものではないし、さみしくなったり、泣いたり、へこんだりして当たり前だと思う。
でも、今生きている私は、YASSが必要ならいつでもかけつけるよ。
| ann | 2012/11/27 12:15 AM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2012/11/27 12:48 AM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2012/12/09 9:53 PM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2012/12/16 10:21 PM |
一度聞いただけで耳に残ります。
20歳そこそこのYASSさんと
お会いしてみたかったです。
島崎さんのご冥福をお祈りいたしますm(__)m
YASSさん、元気をだしてください。ね。
きっと島崎さんは空の上から見守ってくれてると思います。